椿寺(地蔵院) 秀吉が五色八重散椿を寄進した事により「椿寺」の名で親しまれているお寺です。 また、赤穂浪士を支援した義商の天野屋利兵衛や、与謝蕪村の師、早野巴人(夜半亭 宋阿)の墓がある事でも有名です。 〒603-8332 京都市北区大将軍川端町2 TEL:075-461-1263 千本釈迦堂(大報恩寺) 本堂を造営した、大工棟梁の妻「おかめさん」の物語が有名で、建築関係者からの信仰が厚いお寺です。 今日でも上棟式におかめの面を付けた御幣(おかめ御幣)を掲げて工事の安全を祈願するのは、このおかめ信仰が由来です。お参りの際は、物語の詳細を是非お聞きください。 〒602-8319 京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町 TEL:075-461-5973 釘抜地蔵(石像寺) 苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様(苦抜(くぬき)地蔵)が転じ、釘抜地蔵と呼ばれるようになったなど諸説いわれています。 最近整備されましたが、まるで映画のセットのような昔の佇まいと、古い信仰の雰囲気があるお寺です。 〒602-8305 京都市上京区千本通上立売上ル花車町503 TEL:075-414-2233 清和院 江戸時代に大変盛んであった「洛陽三十三所観音巡礼」の最終第三十三番札所。聖観音菩薩(河崎観音)のお寺です。現在、聖観音菩薩は九州国立博物館に寄託されています。 御本尊は京四十八地蔵十三番御詠歌の清和地蔵尊(重要文化財)です。また御詠歌に河崎観音があります。2005年より洛陽三十三所観音巡礼が復活し、たくさんの方がお参りされています。 〒602-8335 京都市上京区七本松通一条上る一観音町428-1 TEL:075-461-4896 余談ですが・・・ こちらは昭和初期頃の西陣地区の地図です。現在と比べると田畑が多く、チンチン電車(路面電車)も通っていました。 源頼光の土蜘蛛退治で有名な土蜘蛛塚は、その昔、清和院向かいの畑の中にあり、土蜘蛛の祟りを恐れて、誰も近づかなかったそうです。 しかし明治三十年頃、塚は壊され、現在の滝ヶ鼻町になりました。 |
壊された塚からは、石灯籠の火袋などが出土し、これに関わった人々の家が次々に潰れたそうです。 この火袋は現在、北野天満宮境内にある東向観音寺(洛陽観音霊場三十一番札所)に移され、これにて土蜘蛛の祟りも収まりました。 |